「ニッキ」なのに、月刊とは如何なものか。
月刊 カツ ノ ニッキ。
足りない言葉。余分な言葉。
2010年 08月 27日 (金) 23:34 | 編集
いつだったか、ちょっとお話めいたものを書いてたときにも題材にしたけれど、
つい最近また言葉について思ったことがあったので、ここに書き残してみる。

言葉っていうものはいつだって足りていなくて、それでいて余分なもの。

自分の意図した通りに受け取ってもらえるとは限らなくて、そこは受け手に大きく左右されるわけで。
「行間を読む」なんていう言葉が表す通り、発せられた言葉以上のことを受け手は受け取ってる。
さらに言えば、自分の意図するものが複雑であればあるほど、言葉は足りなくなっていくように思う。
というか、受け手側に自分の意図を理解してもらえるというのは、少し楽観的すぎるのではないか、と。
言葉の持つ意味通りに受け取る人もいれば、そこから発展させる人、歪曲する人、いろいろだし。
特にTwitterだとかblogとか、誰でも見れる環境がある場所に言葉を発する以上は、
どう取られるかわからないというリスクは常に最大で、それを発する側でどうこうすることはできなくて。
言葉を選んだ上でシンプルに発したとしても、行間を間違った方向に読まれてしまっては元も子もない。
そういう意味で、言葉はいつだって足りなくて、それでいて余分なのだと、そう思う。

面と向かって話していたって誤解とかされたりするのに、ネット上での相手の顔が見えない言葉を、
その真意をどこまで理解することができるのだろうか。

今回いろいろ見て思ったのは、その言葉を放った相手がどう思って放った言葉なのかを考えずに、
条件反射的にその言葉の行間を読み(あるいは言葉通りの意味で受け取り)反応してる人が多いな、と。
もちろん、俺自身も勝手に行間を読んでいるし、人のことは言えた義理でもないのは百も承知。

でも、俺はそこで反射的に反応しなかったのは、
「いい大人がそれこそネット上の見た事もない大多数の相手に、小馬鹿にした態度を取るものなのか?」
っていう想像をしたからだし、だからこそ、そこで一旦思い留まることができた。
だって、その行為に決してメリットはないわけだし。
というか、上に書いた通り、俺もその文面からは小馬鹿にしているっていう風に受け取ったし、
でも、その人がそういう小馬鹿にするような人ではないというのも理解している(つもり)ので、
冷静に何を思った上でその言葉を発したのかということを考えることができたように思う。
けど、やっぱり不特定多数の中には、そういった背景だとか性格なんかを知らない人がいるのも事実で、
いろいろな反応があったというのも、ある意味仕方のない話だとも思った。

でも、受け手に真意を伝えようとしているところへ、冷やかしたり、一切受け取ろうとしないのは、
結局、理解しようとするのを放棄しているのと等しくて、それってもったいなくない?と言いたい。
せっかく、いろいろな意見が出た中で、問題定義者がその言葉の真意を伝えようとしているのに、
誤解したままで終わってしまうというのは、双方にとってデメリットだし。
まぁ、ネット上の発言っていう、一連の発言の一部分だけを切り取れるものである以上、
タイミングっていうものにも大きく左右されてしまうのは致し方ないことなんだろうけれど。

とりあえず、どんな時でも言葉というものに対して、気持ちに余裕をもって接していきたいと思った。

ここまで書いたところで、その発端となった事象を紹介。
この一件をどう捉えるかは俺にはどうすることもできないけど、これまでの文章を読んで頂けていたら、
きっとその意図が正しく伝わると信じて。

http://togetter.com/li/44639
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