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オリンピックに思う
2012年 08月 13日 (月) 10:09 | 編集
オリンピックが終わりました。
個人的にはそこまで熱中しているわけでもなく、朝のニュース番組で結果を見て「わーすごいなー」とか「ありゃ、残念だったなー」くらいの緩さで。

そんなスタンスでしか見ていなかったけれど、今回特に気になったのは、期待に対してあまりいい結果を残せなかった選手が、応援してる人たちに対して謝ってる姿が何となく多かったのではないかと思う。
金メダルが有力視されながらも銀や銅メダルだった選手ですら謝るシーンがあったりして、そこで謝らせるほどのプレッシャーを受けつつも頑張っている選手は本当にすごい。
個人的には、結果は実力に見合ったものでしかないと思うので、メダルが取れたりメダルをかけて戦える、さらにはオリンピックに出れるだけでも十分すごいと思っています。
他の国にも同様に戦う人がいる以上、期待した結果にならないことだって当然あるし、逆に期待以上の結果を生むことだってあるわけだし。


いつだって戦っているのは選手であって、応援している我々が好き勝手言っているだけで、期待された結果が残せずインタビューで謝ってしまう選手には何となく逆に申し訳ないなと感じてしまう。
おそらく、現地へ言って直接選手を応援してる人たちは、期待に見合った結果が残せそうにない状態になったとしても、そこからの逆転を信じて応援し続けるだろうし、そうあってほしい。
遠く離れた日本で、TVの前で逆転が難しくなった状況で「勝とうとする闘志が見えない」とか「覇気がない」とか技術とは別のメンタル面(しかも画面上から想像するしかない)で文句や愚痴しか言えないような人たちは、結果を残せなかった選手が謝ってしまうその心情を少しでも考えてみてほしい。
良かった点や悪かった点なんて、当の本人やスタッフの方が1番わかっているはずなんだし。
結果を求められるのは確かに勝負事の世界だし、それはあって然るべき。
だけど、国の代表として戦った人に対して、闘志が見えないなどと言い切ってしまうのは、あまりに失礼ではないか。
もちろん、バドミントンの失格となった試合をしてるようなのは、批判されるべきだけど。
応援する側としては選手たちがさらに力が発揮できるように、それでも仮に期待した結果ではなかったら「よくやった!」と言えるような形になるようになればもっとよくなるような気がした。
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